プロフィール

はじめまして。さめと申します。

ブログにご訪問いただきありがとうございます!

現在私は、転勤族の夫と小学生の娘とハムスターと暮らしています。

ごく普通の穏やかな生活を望む私がなぜネットビジネスの世界と出会ったのか、

書いてみたいと思います。

夢は平凡で穏やかな生活

私はサラリーマンと専業主婦の両親の間に一人っ子で生まれました。

子ども時代は何も考えず楽しく過ごしていました。

性格は穏やかで喧嘩が嫌い。と言うよりも、子供の頃から苦手でした。

勉強は特別苦労することもなく、かといって優秀と言う訳でもなく、

地元の短大に入学し、地元の会社に就職しました。

私の人生設計はのんびりしたものでした。

結婚して、子どもは二人で、小学校入学までは自分の手で育てて、

便利な場所にマンションをローンを組んで買って、

家計を助けるために、パートに出て…。

子どもの手が離れたら趣味を楽しんで…。

50代、60代頃には大切に育ててくれた両親の介護をして、

親孝行する…。

絵に描いたような平凡なライフプランですね(汗)

おしゃれは好きですが、ブランド物やタワーマンションなどには興味はなしです。

あ、一応、子供の頃の“夢”としては画家か小説家になるのが夢でした。

この二つの夢は小さく小さく叶っているのですが、一度きりのお小遣い稼ぎにすぎず、継続するには経済力と時間が必要です。子育てが終わったらチャレンジしたい夢です。

結婚後、転勤&引っ越し生活が始まる

就職後、地元の人と出会って結婚します。

夫の会社は転勤がありましたが、基本地元の企業なので、

ゆくゆくは私の実家の近くに家を買えれば…などど思っていました。

が、人生思うようにいかないものですね。

私の友達なんか、私が描いた人生設計をほとんどの子が叶えていますが…、

夫は、めっちゃ転勤させられるルートに乗っかっていたのです。(そして、のちに分かるのですが、絶対に単身赴任をしたくない人だったのです。)

子どもが生まれる前は、転勤先で仕事を見つけてはフルタイムで私も働き、楽しく過ごしていました。

子連れで3カ月から2年前後の間隔で引っ越しが続く

そして、何度目かの転勤先で女の子に恵まれ、実家からも遠い知り合いが一人もいない土地で、ワンオペ育児が始まりました。

大変ではありましたが、子育て自体は楽しく、その土地で友達にもたくさん出会えました。

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が、一方、専業主婦でどっぷり家事と子育てをしている間に、

夫はだんだん出世もしていきますが、上司のパワハラに合ったり、ノルマを常に抱える仕事で、

ストレスフルになって行きます。

そして、ちょっと長めの転勤サイクルから、一気に転勤&引っ越しの波がやって来ます。

隣県へ転勤&引っ越し、子どもの幼稚園や小児科のリサーチ、教材や制服を一から揃え、

辞令が出た旦那は一足先に転勤先でホテル暮らしなので、引っ越しの作業と手続きはすべて私の仕事です。実家の両親がいつも手伝ってくれていました。

子どもを幼稚園に迎えに行く2時過ぎまでに家事と、引っ越し後の片づけをせっせとして…、

やっと荷物が片付き、幼稚園の行事であるママさんと出会い、一緒にお茶でも行こう♪と、

生活が整ったその時、なんと!また転勤になりました(涙)

この時のサイクルはなんと3カ月です!

場所も今度は遠方でした。

また、荷造り、すべての手続き、実際の引っ越し作業、

ちょっと物事が分かり始めた娘の心のケア。

私が倒れたら終わりな上に、そんなに体力もないので、うまく調節しながら、乗り越えていきます。

そして無事引っ越し完了!

新しい土地は都会だったので、田舎が苦手な私にとってはかなり楽しい土地でした。

転勤は大変ですが、良い事もたくさんあります。

ここでも、幼稚園児だった娘は親友を得て、私もある教室のディプロマを取得し、有意義で充実した日々を送る事が出来ました。

在宅勤務をする部下の奥さんを見た旦那の変化

この頃、夫の方に変化が起こります。出世でやってきたこの土地。ですが、やっぱりしんどいポジションでストレスはたまる一方です。常に会社を辞めたいと言う気持ちが芽生えました。

そんな中、住んでいた社宅の隣の部屋に在宅勤務する奥さんを持つ人が引っ越して来ました。

元々、普通に会社に通っていたそうなのですが、転勤で引っ越す際に、在宅で仕事が出来るようになった方でした。

在宅ですが、正社員なのでお給料はきちんとあります。

旦那は急に羨ましくなったようで、その奥さんが取得している資格を取れと言いだしたりしました。

まだまだ続く、転勤・引っ越し・転校

すっかりその土地に慣れて友達に恵まれて過ごしていましたが、やはりやって来ました…。

転勤&引っ越しが…。

近所の小学校に入学し、親友も出来て、ルンルンだった娘も私も涙涙の引っ越しでした。

やはり、自分に合う土地というのは存在します。

ですが、次の引っ越し先はなんと、私の地元でした!

私は10数年ぶりに実家の近くに住める事になりました。

娘は私が出た小学校に通うこととなり、ここでもどうにかこうにか生活基盤を構築していきます。

ところが、やっと実家の両親と近くで過ごせると思っていたのに、

私の父の持病が突然悪化して、引っ越して来て半年もたたず亡くなってしまいました。

働けコールが始まる

父が闘病する間、私が病院へ通う事は何も言いませんでしたが、地元へ10数年ぶりに戻ってみると、

私と同じ年齢くらいの40歳前後の女性の正社員が、結婚出産後も仕事を続けていて、

今では男性と変わらぬくらいにお給料を貰っているのを見て、衝撃を受けたようでした。

転勤族で社宅を転々としていたら、奥さんたちは、子どもが生まれる前か、大学生くらいで手が離れている方をのぞいてほとんどが専業主婦ばかりだったからです。

突然、実家の助けがあるのだから、フルタイムで働けと言い出しました。

年収は300とか400は稼いでくれば、自分が仕事やめても2馬力で生活出来るから…と。

いろいろと落ち着き、小学生の娘も学校に楽しく通っていたので、子どもが学校から戻るまでの間アルバイトを始めました。

仕事を始めてどの程度協力をしてくれるのか試してみたい気もありました。

私は、時給こそ高くはないですが、市の関連施設の受付けの仕事を始めました。

その仕事はすごく自分に合っていて、ストレスもなく、60歳を過ぎても続けている方もいるくらいです。

私は、娘がもう少し高学年になったら時間を増やし、ゆくゆくはフルタイムで勤めさせてもらおうと思っていました。

転勤のサイクルも長くなると聞いていたので、家の購入の話もぽつりぽつりと出て来ていました。

この職場では月に1度くらい土曜日も出勤の事があり、娘は土曜日の夕方に近所で習い事をしていました。

私は旦那に娘を教室まで送り迎えして欲しい頼みましたが、土日はお酒を飲んでずっと寝ています。

どんなに頼んでも「大丈夫、大丈夫」と言って、せめて玄関で見送り、戻る時間になったら気にして待つ事さえしてくれません。(この時娘は小学校2年生です)

月に1、2度の土日のシフトが終わって、旦那はずっと家でお酒を飲んで寝ているだけで、家に戻ってから買い物に行って、夕飯を作って…と家事は全部私でした。

この様子を見て、

「もしフルタイムで仕事をしても、全く協力はしてもらえそうにない…」

と思いました。

「働け」と簡単に言いますが、旦那が会社で見ている「正社員の女性達」は転勤での引っ越しなどもなく、ずっと同じ会社の同じ建物に通い、

きっと、表には見えない所で、旦那さんやご実家が手助けしている人も多いと思います。

仕事が辛いと思った時に、男性と同じ給料を持って帰る女性を見て、きっと羨ましいが勝ったのでしょう。(私はこの時点で結婚して7回の引っ越しをしていました)

とは言え、私は良い職場に恵まれて、娘も良い友達に恵まれ、とても順調に楽しく生活していました。

またまた来たよ…、転勤・引っ越し・転校が…

ところが!

1年9カ月でまた、転勤の辞令がおりました。

旦那は出世しました。

近県ですが、一応通勤している人もいる場所なので、通勤か単身赴任をお願いしましたが、

「単身赴任は無理」

とのこと…。

娘は大号泣。

私の仕事は2カ月先までシフトが決まっていましたが、出れるぎりぎりまで通う事になりました。

仕事がない日に私は引っ越しをして、家を整え、

実家に仮住まいして、娘が夏休みに入るまで娘は学校へ、私は仕事を続けました。

娘が夏休みに入ると、旦那は早く来て欲しくてたまらないようで、私はシフトをギリギリまで入れていましたが、

「アルバイトなのにここまで義理立てする必要はない」

と辞めるように言われ、先方に謝り、シフトを代わってもらいました。

パートとは言え、私に働けと言う割には、仕事をきちんと責任をもって終わらせる事さえ協力してくれませんでした。

娘の不登校の始まり

そして、いざ新しい土地での生活が始まります。

旦那はすぐにでもフルタイムで仕事をして欲しそうでしたが、例のごとく、引っ越し後の家の事もまだ片付いてなく、娘の学校が心配でした。

夏休み明けて様子を見ながら、子どもが学校に行っている間に出来る仕事をしようと、仕事探しも始めました。

良い所があってので、応募しようと思っていた矢先…、

なんと最初の1か月は黙って新しい学校に通っていた娘が突然学校に行きたくないと言い出したのです!

担任の先生と話し合い、取り合えず行かせようとしましたが、やっぱり「こわい」と言って行けず、

どうしても行きたがらないので、娘の希望通り学校を休ませる事にしました。

娘の希望はただ一つ、「前の学校に戻りたい。親友とまた一緒に過ごしたい」です。

この時点で、娘は幼稚園を3か所。小学校は3か所目です。

今までは問題なく、友達もすぐ出来ていましたが、成長と共にだんだん難しくなったようです。

一カ月ほど休ませて、旦那にも相談していましたが、最初は「引っ越しさせてごめんね」と娘に謝っていた旦那が、娘に対して「不登校!不登校!」とからかうようになりました。

娘は冗談と分かっていても、その言葉に傷つき、私たちは旦那に学校に行けていない事を隠す事に決めました。

学校復活への道 私の体力の限界

そうこうするうちに運動会の練習が始まり、学校が近くにあり、会社や取引先の子どもなどが同じ小学校で、運動会の日に娘が出てなかったら、旦那に学校へ行ってない事がバレる!

といった事態になり、娘は旦那にバレたくないので、「体育だけ行く」と言い出しました。

結局これが学校復活のきっかけとなったので、ある意味旦那に感謝なのですが…。

その後、毎日、1時間だけでも学校に行く事を目標にして、どうにか1時間だけはほぼ毎日学校に行けるようになりました。ただ、行ける時間はその日の朝に決まります。

誰も登校していない時間帯に一人で娘を通わせるのは不安だったので、私もその都度付き添い、1時間だけ(授業なので実際には45分)なので家に帰るのも半端で学校の近くのモールで娘を待ちました。

給食も食べれなかったので、簡単ですが毎日お昼ご飯の準備もしなければいけませんでした。

10月からそんな生活が続き、次第に授業も2時間続けて出られるようになりました。

スクールカウンセラーや、学年主任などの先生とも話合い、

とにかく継続して通うのが大切で、ちょっとずつ出来る事を増やすという流れの中、不登校からの復活としては理想通りと言われました。

冬休みが明けて出れる授業も2時間以上が普通になり、給食は別の部屋で私と食べる許可を貰い、

3時間目に学校に連れて行き、家に戻って家事をして、給食を一緒に食べにまた学校に行き…、

毎日私も学校と家を2~3往復。

娘は学校に行っていまえば楽しいのですが、朝になると学校を怖がるを繰り返します。

「次の学年に上がってクラス替えがあったら行く」と娘は何度も公言していましたので、それを信じてあげて、謎の「学校の怖いもの」が大丈夫なんだよ…という自信をつけさせるために、

押したり、引いたりしながら、娘のペースに合わせて学校に付き添いました。

幸い、前の土地で出会った親友とライン電話でゲームしたり、習い事もオンラインで続けたり…とメンタル的には明るくすごしていました。

ですが、私の方が毎日の送り迎えが体力的にしんどくなっていました。

働けと追いつめられる

その上、実は娘が学校に行けなくなった秋からずっと、旦那に、

「いったいいつ仕事を見つけるんだ!」

と責められていました。(こわい…)

「ハローワークに行くとか、この仕事どうかね?と仕事を探す様子だけでも見せたら、ああ、考えているんだな…と思うけど、どうするつもり?」

と、ノルマを達成出来ない社員のごとく詰められます。

「結果を出せ」

とも言われます。

でも、娘からは「絶対にパパには学校の事言わないで」と言われています。

学校でも、家庭全体で支えていく問題だ…と言われましたが、旦那に学校に馴染めない事をちょっと相談すると、

「社会に出たらもっと大変だ。辞令が出て転勤しても一カ月で結果を出さないといけない」

と、話になりません。

師匠との出会い

仕事はしたい。けど、娘は順調に学校にちょっとずつ馴染んでいて、もう一息です。

娘は私の立場や、旦那に仕事しろ、仕事しろと言われているのを知って、『ママに悪い』と分かっていました。それでもどうしても学校に行けないのです。

深夜にコンビニなどで働こうか?と思いましたが、娘の学校への送り迎えで日中が忙しく昼寝も出来ず、

娘が学校に行っていて昼間は暇だと思われているので、夕飯も手抜きが出来ません。

体力にも自信がない。

せめて、何か家で稼げる事はないだろうか?

そこでネットで探していて出会ったのが今の師匠です。

幸い、新学期が来て娘は無事学校に復帰出来ました。

本人も「なんで行けなかったのかな?もうあの頃には戻りたくない」と言っています。

ネットビジネスで成功するのに一番大切な事

実は私はこの転勤続きの人生の中で、何度も引っ越しで仕事を辞める事になったので、在宅で稼げたら…と思って、過去にいろいろな事に挑戦しています。

書いていたら、長文となりますので、また別の記事にしたいと思いますが、それらは正直すべて失敗しました。

今のビジネスに取り組み、良き師と出会う事がビジネスの成功の条件だとつくづく実感しています。

やるのは自分ですが、平凡な自分が成功するには、本当に成功している師の存在が必要なのです。

逆に言えば、成功するかしないかは、良きメンターに会えたかどうかにかかっているのではないか?と思うようになりました。

私が稼ぐ理由

最後に、プロフィールを書いてみて思ったのですが、ちょっとひどい旦那だな…、モラ気質もあって、リコン案件にもなりはしないか…と感じた方もいると思います。

旦那の名誉のために言っておきますが、すべて事実ではありますが(笑)、

家族を食べさせないといけない。楽させてあげたい。

と責任感が強い人です。

転勤先でテーマパークの年間パスを私と娘で購入してふらっと遊びに行ったり、旅行に行ったりと楽しい思い出も沢山ありますし、趣味のディプロマが取れたのも旦那のおかげです。

そして、私は社宅で生活しているので、旦那と同じ会社の人をたくさん見る機会がありましたが、

性格は歪み、出世を妬み、ドロドロしていて、うつ病や、自殺さえ出る会社です。

本当、しょっちゅう精神を壊して休職者が出ている会社です。

そんな中、家族のために頑張ってくれているのは感謝しかありません。

ただ、単身赴任はダメ、料理は手作り(お惣菜は不味くてダメ、味噌汁もだしをとって作って欲しい等…)、子どもの面倒や習い事の送り迎えは一切やらない、引っ越しは全部付いて来て欲しい。(作業や手続きは一切自分はやらない)

かつ、フルタイムで(出来れば正社員で働いて欲しい。)

無理ですから…!!!

旦那の会社で、奥さんがずっとお仕事されている家庭ももちろんあります。

そして、奥さんが仕事しているご家庭は、100%単身赴任です!

 

今は見返してやりたい気持ちと、これまでのお礼で楽にしてあげたい。

二つの気持ちで、経済的に完全な自立を師匠の元で目指しています。

それと、父が闘病していた時に、ある薬を使えば短期間ですが元気になるのが分かっているのに、保険診療ではその薬を使うのは一月に2回までという決まりがありました。

もし、お金を出すから使ってくれと頼んでも、すべてが自由診療になると言われました。

人の命がお金ですべて救えるわけではありませんが、やはり莫大な資産があれば、救える命や、もう少し元気に長く一緒に過ごせたのに…と悔しい思いもしました。

そんな思いをしたくない。思いや優しさや祈りだけではどうにもならない事もあると分かったからです。

私の情報商材での失敗の数々

先ほども書きましたが、

私は子どもが生まれる前から通算10年くらいさまざまなネットビジネスにチャレンジして来ました。

インフォトップなどで扱われる情報商材から、個人ブログで販売されているコンサルなどさまざまです。

金額も…、おそらく100万円以上は費やしています。

それだけ費やしたかいがあって(汗)

今では、ランディングページを読むと、だいたい「怪しいな~」とか「手は出さない方がいいんじゃないかな…」「私なら絶対参加はナシだな…」

と思う案件がすぐに分かるようになりました。

ただ、「う~ん、見事な誇大広告だよね…」と思うような案件も、調べていくうちに、

参加して、何十万も振り込んで、結局稼げず…みたいな実践者の口コミなどを見つけ、

今までのノウハウコレクターの私の経験が役に立つのかも…と思うようになりました。

同じ情報商材でもそれを実践する人によって結果は違ってきます。

だから、一概に「ダメ」とは断定できませんが、

ランディングページに書かれている言葉と、実際にそれが再現できるのか?を私なりにリサーチして、大切なお金を失わないように、情報発信して行けたらと思います。

コロナ禍で、お金に困っている人が多い中、大切なお金を「無料」という言葉で惹きつけ、高額な稼げないバックエンドに誘い込むオファーもたくさん見受けられます。

そんな案件でお金を失う事が1件でも減らせるように、私も日々勉強して公平な事実を発信できるよう頑張って行きたいです。

最後まで読んで頂きありがとうございました!

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